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江藤 淳 「夜の紅茶」より あとがき
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これは私にとって三冊目の随筆集である。
批評や論文を書くのは、ひかえ目にいってもなかなか骨が折れるが、
随筆を書くのはいつでも愉しい。
仕事が終ったあとの、充ち足りた自分だけの時間。
スタンドの燈が机の上に柔かくひろがって、
いま、お前はお前自身にかえっている、とささやきかけて来るような時間。
そういう時間にひたりながら、遠い音楽に耳を澄ますような気持で、私は随筆を書く。
その音楽がよく聴こえてこないようなときには、自分が荒れてしまったような気がして悲しい。
しかし、遠い音楽の旋律が次第にたかまり、自分のなかにひたひたと打ち寄せて来るように
感じられるときには、よろこびが湧きあがって来る。
そして、自分というものが、ここにこうして生きているということの不思議さを、
じっと掌に乗せて測っていたいような感情にとらわれる。
あるとき、そんな時間に、ショパンが聴きたくなってレコードを掛けた。
それはヴィルヘルム・ケンプが弾いている『子守唄』と『舟歌』だったが、
どんな細かい音型もゆるがせにしないケンプの端正な演奏を聴いているうちに、
ショパンの心に刻まれていた無数の傷が、一度にありありと浮かびあがって来るように思われて
胸を衝かれた。
しかし、それは意外に悲惨な印象がなかった。
その傷からは、血のかわりに美酒のような音楽がほとばしり出ていたからである。
豊かな資質とは、おそらく傷口からしたたる血を美酒に変えるようなものにちがいない。
音楽だけではなく、文章もまたそうにちがいないと、私はケンプのショパンを聴きながら考えた。
いつになったらそういう文章が書けるようになるのかはなはだ覚束ないが、
自分の中の鍵盤をさぐるようにして随筆を書くたびに、いつかはそういう文章が
書きたいと思うのである。
1972年2月14日 江藤 淳 |
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